バーr……blog のようなもの 2012 年 08 月

2012 年

08 月 10 日 ( 金 )

演奏者の三ヶ条原則 ~再会風雲ジャズ帖 1~

久しぶりに山下洋輔さんの風雲ジャズ帖を読んでいる。以前読んだのは十代の終わりか二十代の初めだから、それからかれこれ三十年くらいは経っていることになり感慨深いものがある。

今、このエッセイ集を読み返してみて思うのは、当時の自分は笑えるところだを拾い読みしているだけで、山下さんが演奏のことや Jazz のこと、音楽のことを書いているのに、それらをまったく読んでいなかったのだなぁ、ということだ。

演奏者の三ヶ条原則やドラム論を充分に理解するには、バンド Instant Karma での演奏経験と三十年近くもの年月を要したとも言える。

演奏者の三ヶ条原則は Jazz に限らず他の音楽ジャンル ※1 にも当てはまると思える。

「楽器を演奏できること」に書かれているように演奏技術はあればある程よい。少なくとも演ろうとする音楽に必要な演奏技能は欠かせないし、これなら観客に見せてよいと信じることができるレベルの演奏技術も必要だ。もちろん共演者に見捨てられない程度の演奏技術が必要なのは言うまでもない。

「共演者がやっている事を聴き取れる事、そしてそれに反応できる事」で山下さんはインタープレイで演奏者に要求される基礎技能について説明されているが、自分にはこれに心当たりがある、というか天と地の開きがある非常に低レベルな経験なのだが、共演者が自分を含めた他のプレイヤーの音をまったく聴いておらず、バンド全体のサウンドがメロメロになるといった経験がある。

インタープレイでの即応性、反応性、相互作用の話とは雲泥の差がある話だがこのまま続ける。

ジョン・レノンのイマジンをドラム、ギター、ボーカルのちょっと変わったトリオ編成で演っていたのだけれど、なぜかボーカルがドラムとギターを無視してハシリだしてしまい、ハシリだしたボーカルにギターが無理矢理合わせようと、これまたハシリはじめ、BPM が加速度的に大きくなってゆくというとんでもない事態になってしまった。

オイヤメロ ボーカルジャナク オレノ ドラムニ アワセロ

という視線をギターに送ってはみたものの、もはやギターもドラムの音など聴いちゃいなかったし、おれに目を向けることもなく視線はボーカルに釘づけになっている。

ことの張本人であるボーカルは天井を仰ぎ見て目をギュッとつむり、絶叫しながらさらに加速してゆく。

オイオイ イマヤッテイルノハ イマジンデスヨ?

仕方がないのでおれはブラシを捨ててスティックに持ち替えると、本来の BPM で、しかし大音量でビートを刻み始めた。無茶苦茶である。

でもその甲斐あってか二人とも自分のドラムにテンポを合せるようになった。

こういう時はボーカルの後頭部めがけてスティックを次々に投げつけて、頭部を針山のようにしてやっても許されると思うがどうか。

三つ目の「スウィングできる事」は Jazz 固有のことだが「スウィングできる」とあるのを「ノルことができる」などと置き換えてやれば他のジャンルにも応用することができる。演奏者がスウィングしていなかったり、ノッていない演奏ほどクソツマラナイものはない ※2

そんなこんなで山下洋輔さんの風雲ジャズ帖を再体験中である。山下さんが書かれているドラムの優位性については別のジャンルではどうなの、ということを後日書いてみたい。

※1 普段ジャンル分けに懐疑的な立場を採っているが便宜上「ジャンル」という言葉を使わせて頂いてる。そもそもジャンル分けというのは聴く側の都合であり、布教のための都合だと思うのだ。つまり音そのものが介在しない場でのコミュニケーション・ツールがジャンル分けだという立場だ。

※2 もちろん "構築する" タイプの音楽もあるわけで、ここではそれを否定する目的があるわけでなく、プレイヤーの個性が重視されるインプロヴィゼイションを含む曲でスウィングしていない、ノッていない演奏はアレだと言っているのに注意されたい。