バーr……blog のようなもの 2024 年 08 月

08 月 04 日 ( 日 )

若い頃に一人で八丁平に行った思い出

このテキストは単なる思い出話であって、登山レポートでも登山の記録でもない。なので歩く参考には一切ならないことを最初に明言する。

思い出話なので、いろいろ思い出しながら心がおもむくまま、つれづれなるまゝにつらつらと書き残していこうと思う。またなぜかカメラを持っていかなかったので写真も一切残していない。その点ご承知いただきたい。

それでは始めることにする。

昔々のある日、結婚する直前に、のんびりと山を歩けるのもこれで最後かと思って、京都北山の八丁平にでかけることにした。その頃は一緒に山を歩く友人もいなかったので完全に一人歩きだ。

記憶によれば湖西線の堅田駅から葛川中村まで近江バスに乗ったはずなのだけど今は廃線になっているのか近江バスの Web サイトを見てもそのような路線は存在しない。現在では葛川中村までの公共交通機関は京都市営バスで葛川学校前というバス停で下車する必要があるようだ。

中村のバス停を降りて歩き始めたのはいいのだけれど、中村のバス停で降りたのはわたしだけだった。バスには他にも大きなザックを背負った登山者がいたのだけれど、おそらく坊村で降りて比良の武奈ヶ岳に登ろうという人たちなのだろう。

しばらく歩き始めてからは谷筋の針葉樹の樹林帯を歩くことになる。京都の北山は昔、いや現在でもそうだろうが林業が盛んで植林されたのであろう立派な木々がずっと並んでいる。

梅雨に入る直前の日で多少暑い日でもあったが、シャツ 1 枚で特に暑くてたまらないというわけでもなく快適に歩くことができた。虫もそれなりに飛んではいるもののアブやブヨのたぐいではなく皮膚を一噛みしてやろうと近づいてくる虫はいなかったのは幸いだった。

京都北山は延々と樹林帯を歩く登山になるというのはあらかじめ調べて知っており、承知の上で目的地として選んでいるので眺望が得られないことは問題ではなかった。鳥の声も時折聞こえ日射しにさらされない樹林帯を一人で静かに歩くのが心地よい。時折風がそよぎ頬をなでる。

当時クマがでるという話は聞かなかったのでクマに対する警戒はまったくしていなかったし実際にその必要はなかった。ただ現在でもそうなのかは寡聞にして知らない。昨今では大阪府の山中でもツキノワグマが頻繁に目撃されるので、京都北山を訪れる際にはクマの目撃情報がないか調べるのがいいかもしれない。

この山歩きで眺望がわずかに得られたのは、江賀谷の林道終点から右谷の登山道に入り、登山道が八丁平に登り詰めるために沢筋を離れて急な斜面を這い上がる途中のそこそこ高度が得られた途中の 1 箇所だけだった。

出典:国土地理院ウェブサイト
国土地理院コンテンツ利用規約に従い掲載

その急登の途中でその日初めて人とすれ違った。挨拶をしてその人たちが通り過ぎるのを立ち止まって待った。登山道は街の道と違って人ひとりがすれ違うのも大変だ。雑に歩くと転落や滑落、軽度のトラブルでも転倒はあり得る。なのですれ違うときはどちらかが立ち止まって道を譲るのが登山者の間では常識とされている。

どちらが立ち止まるべきかという議論は昔からあるが正解はない。そのときの状況によるからだ。そのときどきで登山者それぞれがそのときに最も全員が安全かということを考えて最良と思える判断をするしかない。登山は現実の行為なので議論で誰が正しいかはほとんど意味がなく、現実の状況でどの選択がベターであるかを考えないと場合にもよるが最悪誰かが命を失う。

急登を登りきり中村乗越と呼ばれる峠を越えて少し下ったところに八丁平はある。カッコウや他の鳥ゝ声が響き渡りそれ以外は静謐なよいところだ。

八丁平に尾瀬や長野県の栂池湿原のような湿原を期待して足を運ぶと八丁平は下の画像のよう姿なので、もしかするとがっかりするかもしれない。

Date : 29 October 2023, 12:18:30
Author : Nux-vomica 1007
Source : Wikimedia
License : Creative Commons CC0 1.0 Universal Public Domain Dedication.

わたしが訪れたときは身の丈以上ある笹科の植物で一面覆われていて、おおよそわたしが写真などで知っている尾瀬等の湿原と同じものには見えなかった。

とはいえ八丁平も立派な湿原である。八丁平の周囲を登山道というか遊歩道に近いものがぐるりと周回している。そこをゆっくりと歩いていくと時折木で作られた小さな橋がある。その橋のあたりは湿原に水が流れ込み笹も少し減っていて、なるほどたしかにこれは湿原だという地の面を見ることができる。

湿原の周囲を周回する遊歩道を歩いていてまず驚いたのが、これまでほぼ人に会わなかったにもかかわらず、八丁平ではことのほか人と遭遇するということである。

これは八丁平を訪れる登山客の多くは大悲山口から登ってくるということを意味している。大悲山口からの入山がさほど便利とも思えないが、大半の人は大悲山口から登る。理由はわからない。

八丁平を訪れる人の多くは峰床山のピークを踏むことも目的にしていることが多い。というよりも大半の人が峰床山にも足を運ぶ。このときのわたしは山のピークを踏むことに興味がなかった。と言うよりもピークを踏むということに思いが及ばなかったと言っていい。八丁平を歩きたかったのだ。機転の効かない人間だなと思う。

弁当をどこで広げたかは記憶にない。とはいえ弁当を広げることができそうな場所というと八丁平しかない。八丁平を周回する道があることを先に書いたが、この周回道のところどころにペンチが設置されている。記憶にはないが恐らくそれらのうちの 1 つに腰掛けて弁当を広げたのだろう。

八丁平を満喫し弁当も食べたので下山することにした。下山は元の道を戻るのではなく大悲山口に降りる計画をしていて、当たり前だがその通りにすることにした。

下山中の記憶はほとんどない。自分も他のハイカーと同じで登りと目的地で過ごすことが山歩き経験の主要をなしている。そのために気持ちとして下山は “帰り道” という気分にどうしてもなってしまうのだろう。下山路を楽しんでいるとはとても言えない。

しばらく歩くと大悲山口のバス停に着く。ちいさな手作りのような木でできた待合室があるが、あまりに小さく数人程度しかそこで休むことができない。そしてあらかじめ計画時に確認していたのでわかってはいたのだけれど、バスの便が 1 日に 2 本しかない。午後は夕方の 1 便だけである。

しかもバスが来るのは今から 3 時間後だった。さすがにこのときは峰床山のピークも踏んでおけばよかったと後悔した。バスで京都市内まで戻ったときには日はとっぷりと暮れていた。