これまでの 30 年以上のうつ病への闘病から得た、現時点での自分自身のうつ病への向き合い方を書く。これまで幾度となく繰り返してきた失敗、周囲への責任転嫁や、特に自死未遂に対する反省の結果得られた視点である。。
------
昨年 12 月の入院直前あたりから、自分の病気のことばかり考えている。それを知人に言うと、もっと楽しいこと考えたら?とか、つらいののわかる、とか言われてしまうのだけれど、自分が最近語るのは根本的にそういう感情にまつわる話ではない。
がんになってしまったがん患者が、自分のがんとその治療法を調べて、最良の治療方法を医師に相談するように、うつ病の症状を緩和するために、医学的な知識と治療法を調べ、整理のためにテキスト化しているに過ぎない。病気による苦痛を緩和するため、それと自死に至る行動化を防ぐために、医学的にどうアプローチできるのかを、臨床的に正しく認識しようとしているに過ぎない。
なので、よくネットでいろいろ書き込みがあるような、感情たっぷりの情緒的なことを考えているわけでは一切ない。昔はそういった感情を主軸とする世界から、うつ病に向き合っていたけど、あれは危険だし、うまくいかない。
うつ病は自己コントロールを失う病気だが、感情を主軸とする態度は、自己コントロール・ロスト対策に一切ならない。周囲の環境に依存することになるので、うつ病による病死の危険性が一切なくならないし、減りもしない。場合によっては、うつ病による病死のリスクが増大する。
短期間で治ってしまう軽症の人は、感情の世界の住人のままであっても、死亡すること無く寛解状態になってしまっているのだろうから、それでもかまわないが、たとえば自分のように 30 年以上治療を続けることになっている難治性のうつ病患者の場合は、そういうわけにはいかなくなる。感情の世界の住人のまま、うつ病に対して接するのは非常に危険だ。
繰り返すが、うつ病に対して情緒的態度で寄りかかっていると、死亡の危険性が高まる。死亡しなくても QOL は著しく低下する。
「死にたい」ではなくて「希死念慮が発生している」と言う具合に、自分に自然発生する感情を、客観的に病気の症状として理解しないと、最悪死に至る行動をとってしまう危険がある。情緒や感情はうつ病で障害されていて、普通の感情の働きは毀損されている。自分を客観的に患者として、治療対象として認識しないと、うつ病死の可能性が高まる。
医学的エビデンスを重視し、自分の感情を信じず、客観的に治療対象とみなす、それこそ死なないために非常に重要だ。